考える葦になりたい

暮らし

ユリイカです。

最近になって改めて、自分はいかに今までの人生で ”考えることを放棄して生きてきたか” について考えています。

モヤモヤした気持ちの正体、目の前の辛い現実が起きた理由、自分はどんな人間でどう生きたいのか。

このようなすぐには答えの出ないことや、言語化しづらいことをもっともっと時間をかけて深く考え、自分の中で答えを見つけなければいけなかったのだと思います。

私がブログを始めたのも、自分の思考を深め、きちんと言語化してこなかった今までの後悔と、そんな自分を言葉を書くということで客観視し変えていきたいというのが理由の一つにあります。

例えば私の場合、現状の ”離婚したい” という気持ちは、いかにして現実に現れ、そしてこれからそれをどう乗り越え変えていくか考える。

その過程をきちんと深く考え、言語化する必要があると感じるのです。

考えることが足りていなかった

時折ふと、人生はなぜこんなに辛く苦しいのだろうと感じることがあります。

1日の大半の時間を費やす仕事は、自分が本当に心からやりたいことなのかとか、

どうして旦那といると、心がこんなにモヤモヤするのだろうかとか、

無限にあった別の生き方を、なぜ選択できなかったんだろうかとか。



こういうことを考えると、現実への不満にばかりを愚痴っているように聞こえるものです。

もうすでに手に入れている幸せに気づけていないから、このようなネガティブな思考に陥っていると言われがちだけど、

もちろん目の前の幸せに充分感謝しつつ、でも、私はやっぱりこの ”なぜ?”や” 願望への欲求” を考え抜き追求すべきなんだと思います。

そして自分の言葉で答えを出し、アクションを起こす。

それこそが一度しか経験できない ”生きることの目的” なのではないでしょうか。

考えることはエネルギーと時間を使うめんどくさい作業

今まで自分の頭できちんと考えてこなかった結果、現状がある。

ではなぜ深く考えてこなかったかというと、一言でいえば、考えることはとてもめんどくさいことだからではないかと。

考えること=言語化すること

言語化できなければ、ただふんわり表面的に思考しているだけで答えが出ていない状態です。



以前、吉本ばななさんの小説を読んでいて、自分が昔、海外のどこかで感じたことのある気持ちについて、こちらがスッキリするくらい繊細に表現されている言葉がバチッと一致したという経験があります。

こんな風にうつろいゆく一瞬の気持ちというものを言語化できるということはものすごいことだと、ただただ感動しました。

文筆家ってすごい!



この思考を深めて言語化するというプロセスは、誰かの意見に流されたり、以前聞いた他人の言葉で表すようなものではなく、自分自身の中で最適な表現を探すこと。

これはとても時間がかかるし、エネルギーも使います。

しかも、いつその答えが出るのかが分かりません。

霧をつかむような気持ちになってきます。

だからこそ、考えることに貴重な時間や労力を使うのではなく、なんとなくぼんやり流されていく人が多いのではないでしょうか。

楽だから。

生きることに真剣じゃないから。

私もまさにそんな一人でした。



私は40代の今になって、 ”自分の頭で考えること” これが完全に足りていない状態だったと思わずにはいられず、同時にそれに気づけたことはとてもラッキーなことだとも思うのです。

だって40代ってまだまだ人生これからじゃん。

自分の選択でどうにだって変えていけるんですから。



まさにそんなことを考えて、このブログ記事を書いている途中で保存した朝、届いたばかりの『思考は現実化する』 著ナポレオン・ヒル という本を読み始めました。

そしたら最初に書いてあるではありませんか。

考える習慣がどれほど必要か。

宇宙ってちゃ〜んとタイミングよく必要なものを必要なときに目の前に差し出してくれるものですね。

感謝感謝。

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秋が深まってきました。

朝の空気の気持ち良さよ!

幸せってそこここにある何気ない気づき

今回のブログを書いて、文章が上手くなりたいと本気で思いました。

自分の考えをまとめるって大変な作業であり、生きていることを実感する作業だなと。

乱文を最後までお読みいただきありがとうございました。

今日も良い1日を。

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